中島惣社は、孝徳天皇の白雉2年(651年)難波長柄豊碕に遷都されたころ
五穀豊饒を祈るために多くの神領を得て創建されたといわれています。

 建武年間、足利氏が幣帛(へいはく:神前に供える物)奉納した記録があり
豊臣秀頼が中島總社と記された絹地を献納するなど
豊臣氏は特に崇信していたようです。

慶長の末年、大坂の陣において兵火にあい
古文書などは焼失し本社古代の絵図面一葉と
建武2年(1335年)中島總社と記した木製額面のみとなり
創祀の年月は不明ですが、その昔中島郷の中洲にあり
田畑が開け人家も増加したため守護神として
宇賀御魂神(うがのみたまのかみ)を祀ったのが始まりと伝えられています。


 中島惣社は最初、稲荷神社と呼ばれていましたが
明治29年に中島惣社の現名に改めました。

惣社というのは総社の意味で
中島郷48カ村の親宮(総社)ということからです。
明治41年から42年にかけて近隣の多くの神社を合祀しました。



崇禅寺から中島惣社の一帯は崇禅寺馬場と呼ばれ
明治時代には19000坪余りの境内を持つ立派な神社でした。

昭和20年の空襲で焼失してしまいますが、幾度かの改築を経て
現在は美しい社殿に整備されています。

なお、昭和の初めには社域から弥生式土器も多数発見されており
また境内には芭蕉の詠んだ句を刻んだ「落葉塚」と呼ばれる句碑が建てられています。

 中島惣社は今日も、境内の楠とともに人々の暮らしを見守り続けています


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